【兵藤友博教授の定年退職記念講義が開催されました】

【兵藤友博教授の定年退職記念講義が開催されました】

兵藤友博教授の退職記念講義が、2014年1月16日に開催され、多くの学生、教職員、卒業生などが聴講しました。講義に先立ち、池田伸経営学部長より挨拶と兵藤先生の経歴・業績の紹介がありました。兵藤先生は1995年経営学部に着任され、以来本学の教育・研究に尽力されました。

講義は「科学・技術論と学術の二面性」と題し、ご自身の研究業績の時代区分に沿いながら、社会科学の観点から理論的、歴史的に考察した科学・技術の成り立ちについて語られました。最後にゼミ学生ならびに教職員の代表から花束が贈呈され、盛大な拍手のうちに退職記念講義は終了しました。

≪兵藤先生からの贈る言葉≫
君たちはどんな人生を送るのだろうか。
この世は、家族をはじめとして、これまで君たちが学びのために過ごしてきた学校はもちろん、行政、企業、各種の非営利組織を含め、さまざまな組織からなっている。そうした組織では、営利を目的とした組織は当然のことながら、ご承知のように非営利的組織でも実践のための「資金」と「統括」(統制と協調)なしには営むことはできない。
問題は、私たちはそうした組織の中でどのように取り組んだら、まっとうに生きたことになり、組織もまっとうに機能したことになるかである。それはある意味では、この自己を含むこの世界がどのように成り立っているのかという、もっとも根底的なものを問わずにはできない話である。

確かに、この世に生を受けたものは均しく、それぞれの生き甲斐を携えて生きようとしている。このことは至極当然のことながら、意外とこのことを実現することが難しい。そのために、私たち人間は恐ろしく長い年月をかけた教育のプロセスに好むと好まざると入ることで、それに対応しようとしている。すなわち、自己の生物学的なヒトとしての素の存在を、家庭生活を出発点に、学校・大学の正課として学びや課外のさまざまな活動、またプライベートな数知れない活動の中で自己を励まし育んできたこれを自己創造というが、ただちにそれで社会で通用するのかというとそうではない。これまでだって共感することもあったであろうが、友人同士でさえ利害がぶつかりうまく行かなかったり、場合によっては自己を抑制され強制されたりされたこともあろう。

そこであらためて考えてみなくてはならないことは、自己の生き甲斐を実現するためには、どのようなことに配慮し努力していかなければならないかということだ。というのも、自己の生き甲斐を実現するためには、家族はもちろん、友人や同僚、場合によっては隣人(見ず知らずの人を含め)の理解と支援がなくてはできないからである。要するにこの人間と人間との意を共有する「環」が欠かせないである。

冒頭でさまざまな社会の組織のことに触れたが、これらの組織だって「資金」と「統括」があれば、上手くいくというものではない。その組織を構成するメンバー同士の、あるいはそれらの組織をとりまく人々のとの繋がり合い、すなわち意を共有する「環」がなくては、たとえ営利組織だってまともに機能しないであろう。組織を構成するメンバーの思いと気持ちの繋がり、これが広く世の中で構築されることなしに、有意な事は成就しない。

誤解を恐れずに言えば、それぞれの組織のあり方に従い、自己を殺して組織人になること、それも大変な事であるが、それでは自らが希求する自己の姿とは程遠いものになろう。どのように社会で、個々の様々な組織で立ち振る舞うのか、なお言えば立ち向かうのか。それ次第で堕した自己に出会い荒んだ気持ちになることもあれば、ちょっと崇高な自己に出会い達成感を味わうことにもなる。

君たち一人ひとりが、業務として仕事を成し遂げる組織人(たとえば、企業人ならば「企業戦士」)としてのたくましさだけではなく、これまでもいろいろな場で育んできたことでしょうが、人と人とが広く真につながりあえるような揺るぎない人間的精神を育み、確かな社会人(地球的市民)としてのやさしさとたくましさを身につけることを期しております。

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