2011 2 月

【2010年第2回セミナー(2011年1月15日開催)の概要】

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立命館大学経営学部校友会
ACROSS 速報版

2011年1月24日 第59号
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2010年度第2回経営学振興セミナー
「会社は甦る-カネボウの経験から-」

2010年度第2回経営学振興事業セミナーは当初11月にと考えたのですが,結局2011年1月15日(土)グランドプリンスホテル高輪において開かれました。51人の参加という盛況な中で開かれました。㈱経営共創基盤代表取締役CEO,元産業再生機構代表取締役兼業務執行役員COO冨山和彦氏に「会社は甦る-カネボウの経験から-」と題してお話しいただきました。産業再生機構代表として,カネボウの再生に尽力され,今も日本航空の再建に関わっておられます。まさに「リアル」な経済学,経営学といえるお話で,聴衆の皆さんも納得されたのではないでしょうか。終了後の懇親交流会にもご参加頂き,交流の実があげられたのではないかと思います。質疑などでズバリ現代日本の抱えている問題の指摘される場面もありました。あっという間の2時間あまりでした。以下,十分伝えきれていないけれども紙面の許す限り,ご紹介します。

日本の不良債権問題の推移と欧米の現在地

日本の不良債権問題は東京大学出身の日本の文系エリートの失敗といえる。また,米国発のリーマンショックはスタンフォード大学など理数系天才,いわゆるクウォンツの失敗,といえるのではないか。でも,いくら天才でも人間が人間である限り失敗するものだ。
現在,規制の見直しをしたり,市場介入をして経済を立て直そうとしているが,それは結局過剰流動性をもたらし,世界中でバブルを招来している。石油が値上がり,国債大量発行・国債所有など不安定は広がっているにすぎない。このバブルもどこかではじける。根本的には直らない。これは人間社会の繁栄発展の必然の結果だ。ヨーロッパもアメリカもバブル崩壊後の日本の後を追いかけている。
今のヨーロッパはバブル崩壊後の日本の1997年に該当している。ここでは民間金融機関のリスクを国が肩代わりしているにすぎない。日本では民間金融機関が倒産する結果となったが,ヨーロッパでは国が国債を発行して支えているだけである。だから,日本の「失われた10年(20年)」同様,これからヨーロッパが10年くらいを失うだろう。この流れは,ドイツには幸いで,傷んでいない。ギリシャ,スペインやポルトガルなどの不調でユーロが下落し,これで加工貿易立国であるドイツは輸出が絶好調で4%近い成長をしている。それで,ドイツ以外の国が10年を失うだろう。だが,競争相手のドイツがこのように強いから日本企業は苦しい。
アメリカは日本の2001年,2002年に当てはまる。市場に任せるから,症状が早く出る。でも金融機関の不良債権処理は進んでいるが,借り手の側が問題だ。つまり個人は過剰債務で苦しんでいる。この過剰債務は消費手控えとなる。だから景気はなかなか浮上しない。さらに,住宅ローンの競売が進んでいない。日本は借り手(企業が借りていた),貸し手(金融機関)の一体処理をしたが,米国は個人が借り手なので処理が遅れている。

デフレの正体

日本における不況感,閉塞感の正体は,人口減少高齢化(高齢者における金余り)とグローバル化である。高齢化すると消費性向が低下する。一方で高齢者に金融資産がたまり,バブルとなる。だが消費減退でものが売れない。すなわち,日本では供給過剰構造となっている。日本は企業社会だから,設備は十分にあり,供給過剰構造となっている。だから慢性的な需給バランスのくずれがあり,過当競争,値下げ競争となり,雇用・賃金抑制,新卒採用低下,若い人の失業率上昇となっている。同様の状況が欧米でも生じている。
もう一つ,グローバリゼーションである。これは新興国の安いコストとの競争である。対抗策はブロック化して海外から新興国のものが入らなくするか,帝国主義的に新興国を搾取するかしかないが,現代ではこれは無理。それが今の日本が直面している問題だ。

カネボウに見る

企業経営でもこのような社会全体の縮小コピーが生じた。カネボウの場合がそれだ。実はカネボウはもっと早い段階からそれに直面していた。今の日本の姿に先行的に直面したのが,産業再生機構に来た。地方では,早くから高齢化,人口減少が進んでいたし,地方の小売業はより早い段階から需要不足で悩んでいた。地方交通を担う地方のバス会社もそれに直面して破綻し,これを産業再生機構が再生した。
カネボウも,繊維産業で,早い時期から問題に直面していた。繊維産業は60年,70年前の日本の基幹産業だった。その後,カネボウは多角化した。一番成功したのは化粧品で,当時ペンタゴン経営と称して,繊維を中核に菓子,化粧品,食品,医療,などに乗り出した。繊維産業の苦境をこれで乗り越えた。繊維の低迷を,旺盛な国内需要による他部門の収益で乗り越えた。でも,繊維の斜陽が抜き差しならなくなった。繊維への投資は手控えられたため,合繊を始め、繊維のあらゆる分野でカネボウは4番手,5番手に低下し,儲からなくなった。繊維の高付加価値分野への再投資(帝人や東レがこれを行った)で挽回するか,撤退売却するしかなかったはずだ。教科書的には明々白々。ところが,明確な意志決定をせず,先延ばしをしているうちに,バブル経済となり,そしてバブル経済が崩壊し,カネボウは2003年に破綻した。
2003年に再生機構が入った段階でも半分の売上が繊維で,赤字だった。これを化粧品の黒字で埋められず,かつ化粧品への再投資ができず,化粧品でさえ疲弊していた。共倒れの危機で,実質的に債務超過に陥った。繊維から撤退しようにも,M&Aで売却しようにも,買い手がいない。供給過剰産業だから,競争相手は廃業を望んでいたが,1万人の雇用が重荷だった。それに撤退しようにも2千億円くらいの退職金を支払わないと撤退できない。にっちもさっちもいかない。撤退も倒産もできないという状況だった。そこで粉飾決算をして,黒字維持と見せかけて延命した。銀行や市場から見放されないために粉飾した。そしてエンロン事件同様,中央青山監査法人まで廃業に追い込まれた。しかし実際は、粉飾の首謀者の一人とされている最後の経営者である帆足さんが引き継いだ段階では,もう遅かった。
そこで再生機構がカネボウに入ったら,タマネギの皮をむくような感じで,訳がわからない。繊維がまだしっかりしているうちに,繊維部門を引き取って貰えればああはならなかった。なぜその意志決定が早い段階でできなかったのか。1990年代の経営陣に聞いてみると,「自分個人としてはもっと早い段階で繊維から完全撤退すべきだ」と思っていたという。ところが,「もし自分が繊維からの完全撤退決定の方向へ進んでいたら,粛正されただろう」ともいう。

わかっていたが何もできなかった

これは猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』 (文春文庫)でも同じ状況が紹介されている。つまり昭和16年の少し前に軍部はシミュレーションしたが,日米戦では絶対勝てないと判った。しかしそのレポートは封印され,そのレポートを書いた軍人は最前線に送られた。NHKスペシャルでも,開戦に反対していた海軍がなぜ開戦派にまわったかが紹介されていた。なぜそうなったかの議論を戦後になってからしていたが,勝てないと理解していたのに,空気は日米開戦へ向かったという。山本七平氏の本『「空気」の研究』(文春文庫)というのがあるが,日本ではいったん空気が出来上がるとその空気に逆らえない。日本は共同体型で,お互い忖度しながら一つの落としどころに落とすのが得意。
カネボウでも,意志決定ができなかった。合理的意志決定は非常に難しかった。繊維撤退を言ったらカネボウでは「非国民」扱いされただろう。経営トップでさえ繊維撤退は言えなかった。繊維部門の人たち,まじめに働いていた人たちを切れない。しかも繊維事業はカネボウの発祥の地。化粧品が今日あるのも繊維事業があったからできたことだ。産業構造が変わったからと言って,NTTが固定電話から撤退できるだろうか,時代が変わったからと言って,トヨタが自動車から撤退できるだろうか,と考えたら判る。

最後はリアリズム

だが破綻してしまうといろんなことができる。後は,どれだけ被害者を減らすかで,カネボウでも繊維部門を40くらいのピースに細かく切って,例えばその一部を北陸のセーレンに引き取って貰った。でも名門企業カネボウでは抵抗感が強かった。抵抗していた人でそこに移った人でも,セーレンでボーナスを貰ったとたん,詫び状をよこした。現金なものだ。理念とか何とかは飯が食えての話。
日本航空でも,企業年金25万円プラス厚生年金25万円で50万円の年金を退職者が貰っていて,「減額けしからん」と叫んでいたが,現場では20万円以下で働いている人がいる。こんな矛盾は許されるはずがない。破綻清算の場合,企業年金はゼロになるが,再生型の破綻処理の場合,半減で済む。運用の予定利回りを国債利回りにあわすだけで,50万円が40万円に減額されるだけだ。だから結局は反対は収まる。
構図は毎回同じだ。飯が食えることが大事で,最後はリアリズム,会社再建のリアリズムだ。会社は破綻させてはいけない。飯が食えることが大事。そこに生きている人の生活が大切だ。

選択と集中と言うが捨てるのは難しい

カネボウの場合もそうだが,不作為は大罪だ。その点パナソニックの中村改革はよくやったといえる。あれをやらなかったら,パナソニックはもっと大変なことになっていただろう。インテルもDRAMを捨て,CPUに向かった。本当の意味での選択と集中をした。DRAMを売らなかったら破綻していただろう。シリコンバレーだからできたというのは間違いで,シリコンバレーでは人間関係が濃密だ。日本的だ。でも早い段階で撤退した。早い段階だと退職金も払えたり,雇用と一緒に他社へも売れる。「集中」は誰でもできる。集中するためには何かを捨てなければならない。捨てることが難しい。経営者の判断だ。怪文書がばらまかれる位は当り前というリスクを賭けて,命がけの判断だ。地方バス会社の再生の場合でも,することはシンプルで,統合しかない。ところが,やめる部門で一族郎党が働いている。できの悪い一族が働いている。これを切らなければならない。一族郎党の当主としてはできない。それを再生機構がやった。
「集中」は「撤退」と表裏の関係にある。足し算すると結局共倒れになる。確かに猛烈な右肩上がりなら足し算で解決できる。だが,人口減少,世界的大競争のこの現代では集中しかない。ところが,日本は共同体だ。良い会社であればあるほど撤退が難しい。団結力があって,仲間思いで,それは良い組織なのだが,これが意志決定不全へと向かう。これは日本の多くの組織,企業が抱えている潜在的な問題だ。だからガバナンスの議論が重要になる。

日本企業をめぐる市場の外部規律によるガバナンス機能の不全

ドラッカーも言うように事業を持続的に存続させて,雇用維持するのが経営者の務めだ。そしてガバナンスが機能不全を防ぐ。しかしこれは外部からしか働かない。日本では内部の自律でやろうとすると共同体の論理でできない。空気に勝てない。同じ人間でも立場で異なるものだ。仲間を切ることは難しい。外部からの力,牽制作用が大事だ。製品市場,資本市場,労働市場,の3つが働き続けることが必要だ。国営企業はこれらが働かないからしばしばダメになる。どうすれば現実の企業でガバナンスが機能するか。なかなか難しい。
アメリカ型のガバナンス論,株主主権論が一時期はやったが,アメリカも株主原理主義のやりすぎでリーマン・ショックが起こった。リーマンは破綻するまでレバレッジを利かして増収増益を狙った。株主的にはコンプライアンスに従って経営していたにすぎない。それが破綻した。もう一つのガバナンスの方式としてステークホルダー型(権力の分立型)があり,私はこちらの立場にたっている。株主型は順調である限り,経営者は絶対的権力をもってもよいということになる。そこでは長期的には問題があっても,株価が上がっている間はチェックが働かない。人間性の現実を考えると,ステークホルダー型がよい。株主主権はドグマだ。法学者はドグマがないと考えられないから,そういっているにすぎない。要は権力の暴走を防ぐ必要がある。不作為の暴走(日本で多い),作為型の暴走(創業経営者),これをどう防ぐかが問題だ。
株主の株式保有期間は平均10ヶ月だ。これで株主が統治できるか?統治される方がこれで正当性を感じるだろうか。保有期間が短いのは売買回転率が高いと言うことで,市場の流動性は高いのだから市場的には良いことだ。上場企業にはそういう構造的矛盾があるから,株主統治がうまくいかない。
会社におカネを貯めておくだけでは意味がない。配当しろと村上ファンドは言ったけれど,会社の現金は株主だけのものか。それはいざというときの安全弁だ。統治権を行使した株主は10年間所有株を売るべきでないと思う。現金は継続的な営業利益からくる。
株主は有限責任でしかない。株主はリスクがとれるというが,モラルハザードがおこる。例えば,債務超過会社で,えてしてやばいデリバティブに引っかかる。これは株主から見れば合理的なのだ。ちっちゃな成功では債務超過が解消しないのだから,ばくちを打つ。株主はそれ以上損失しない。
だから株主統治を簡単に信用してはいけない。

すんなりした一般解はない

民主主義というが,一つとして同じ統治機構をもっている国はない。アメリカ型だけが良いわけではない。仕組みは国ごと,会社ごとに選べればよい。オーナー会社だからといってガバナンスが利くわけではない。リアルなガバナンスは馬鹿な経営者を切ることだ。それ以外はどうでもよい。
この議論はいまの日本国全体の課題と同じだ。今の日本は難しい。格差は拡大していく。日本航空の末期症状そのものだ。弱くなった政権は既得権に切り込めないだろう。所得再分配は同世代内でやるべきだ。もはや年金制度は持続不可能だ。
これからバブルは膨張してはじけるだろう。これから30年から40年は経営環境は不安定だろう。アメリカ一国による支配の時代が終わった。歴史を見ても帝国の支配の時代が終わると,不安定が起こるものだ。この先は天候不順,視界不良だ。こういうとき,意志決定が重要だ。以前はエグゼキューション執行が重要だったが。これからは,トップが意志決定できるかどうかがより重要になる。共同体型日本は難しい。トップの決断力の差が決定的だ。トップの決断力のある会社とない会社で差が出ている。
いまやっている東日本でのバス会社再建の経験から言えるのだが,その気になればできる。でも,経営者が肝心でガバナンスが重要だと言うことになる。だから人材が重要。ヒトに関わる慢性的な病は今も進行中だ。脆弱な上部構造,基礎構造があぶない。東大比率が高い会社がよくない。今後,ヒトを作るのが大事だ。トップにとって大事なのは意志決定。情を乗り越える人間が必要。そこで必要なのは哲学,信念である。哲学がタフネスのもとだ。戦略より実行能力,決断能力が大事。結局,人作りが成長の元である。志を持ったエリートが必要。

《編集後記》

終了後の質疑応答も充実したお話しでした。そこで次のような話が行われました。需給バランスが良ければ景気がよいと感じる,とか,インバランスは少子高齢化で需要は減る。代わりに政府が需要を作っても持続性ない。20年間これをやってきたが,これはもうできない。需要を増やすには一つは個人金融資産を若年層に移転させる。そうすれば消費性向が高いから需要が増える。もう一つは外需で埋める。いずれも軋轢がある。国論が割れる。グリーン・イノベーションなど叫んでいるが,予測できないからイノベーション。イノベーションの蓋然性を高めることができるだけ,などと話されました。
次回2月26日は烏丸京都ホテルにおいて,MKタクシーの青木義明社長にお話いただきます。ご期待下さい(M)。

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