2010 9 月

2010年度第1回経営学振興セミナーが開催されました【2010.8.29】

2010年度第1回経営学振興セミナー 2010年度第1回経営学振興セミナー 2010年度第1回経営学振興セミナー

2010年度第1回経営学振興セミナー
「大阪を活性化するにはどうしたらよいか」

大阪活性化の立役者が話す
 経営学部校友会経営学振興事業セミナー第1回セミナーが,2010年8月29日午後2時からホテルグランヴィア大阪「鳳凰の間」において,60人の参加で開かれました。今回は大阪活性化の立役者,天神橋三丁目商店街振興組合理事長土居年樹氏をお迎えし,お話をうかがいました。土居氏は天神橋筋商店街活性化,「天満天神繁盛亭」開設の立役者であり,その経験をもとに,「大阪を活性化するにはどうしたらよいか」というテーマでお話願いました。大阪弁のくすぐりたくさんのお話で,しかも大阪活性化にかける熱意が窺われるお話でご参加の皆さんの満足度は高いものでした。土居氏には終了後の懇親交流会にも出席いただき,時間のたつのを忘れるほどの交流会となりました。
以下は,セミナーのお話の概略です。

商店街のシャッター街化
 日本中の商店街がすべてシャッター通になりつつあります。これでよいのか,と考えつつ行動してきました。私は人前で話するのも嫌いで物書きになりたいと思っていたのですが,父親が急死しましたので大学をやめて仕方なしに茶碗屋を継ぐことになりました。
かつては天神橋筋商店街は多様なお店が軒を連ねていました。昔は紳士服の店が軒を連ね,メンズストリートなどと称していたものですが,いまでは紳士服4~5軒,文房具屋に至っては1軒などという有様で,飲食店が多いのが現状です。とりわけ昭和50年代には商店街は低迷していましたが,色々頑張った甲斐あって,最近は復活しつつあります。時間をかけて復活してきました。
 日本の社会を悪くしたのはひょっとしたら流通業界ではないかと思います。大手の流通が世の中をおかしくしているのではないか,スーパーなどが出てきて画一的になってきました。またどこの商店街に行っても全国チェーンの店が軒を連ねている有様です。

商のはじまり
 思いますに,町(マチ)ができる原点は,最初は農業。林業,漁業,この3つが街の原点です。ものづくりから始まっています。確かに江戸時代には士農工商で,農業は百姓といって,姓があったが,商人には姓がなかった。名前しかなかった。でも商を中心に町が形成されました。商人は仲介業者であり,はじめは問職でした。問丸になって倉敷とか町ができました。そして男性が作り女性が売り歩くというようなところから出発しています。そして町が発展していき,お金,貨幣が流通に大きく貢献してきたのです。

大阪は民の町
 大阪は民の町です。商売人の力が強かったのです。大阪商人を作り出した人は家康の孫の松平忠明と言う人です。大阪冬の陣,夏の陣で荒廃した後を,復活させたのはこの人です。伏見から人を連れてきてそこを伏見町と称し,河内から連れてきたら河内町と名づけ,平野から連れてきたところを平野町という具合です。その代わり地子銭(これは固定資産税のことです)をとらなかった,町を作ってくださいと言ったわけです。これとは逆に今では固定資産税が高くなって,そんなこともあって,心斎橋など老舗がなくなってきています。商人は町に貢献しているのですから,3代住んでいる人には固定資産税を安くし,大阪の町を発展させてはどうでしょう。
 大阪は八百八橋といいますが,ほとんど民が橋をつくったのです。道頓堀は安井道頓が運河を掘ったなどです。今は,堀を埋め立て,川を埋め立て,道を造り,2階に高速道路を作っている有様です。いまは場当たり的です。
 近江商人は,「売り手よし,買い手よし,世間よし」の精神で,大阪に出てきて町を発展させました。商売人は物とおカネを交換するだけではありません。売るの旧字の「賣」は買うの上に士と書きます。だから買う人に知恵をさずける人が,売る人,商売人なのです。
 1837年飢饉のとき,天満与力大塩平八郎は大阪のためにがんばったのです。天満与力が火事を起こせば,飢饉救済に幕府が動くと思い,火をつけて町を一から立て直そうとしました。「大塩はんはえらかった」と語り伝えられています。大塩平八郎の乱です。そのとき大塩は「大丸は義商なり,犯すべからず」と言い,大丸は災禍を免れました。「先義而後利栄」を事業の根本理念として定め,大丸などの老舗が栄えました。町に貢献しています。「誓文払」などという言葉があります。これはバーゲンセールのことですが,文章に誓って品物を払い出す精神をいいます。商人の生き様です。
 私は,まち商人と企業商人は違うと言っています。まち商人は今の言葉風に言えば「地産地商」(ここで生まれてここで商いしている)です。農耕型商人です。そういう人たちがいるのが商店街です。ところが,今の商店街ではスターバックス,安売りの薬屋等々全国チェーンの店があって,その3階に地元民が住んでいたりします。商人ではなく家主です。これで商店街がおかしくなっている,中心市街地がおかしくなっているのではないかと思います。

大店法が問題
 田んぼの真ん中にスーパーが出店して,天然の町がだんだん寂れていくのはおかしい。平成12年,まちづくり3法,つまり中心市街地活性化法,都市計画法,大店立地法ができましたが,商店街はこれでよくなったのでしょうか。
 (注)まちづくり3法とは,ゾーニング(土地の利用規制)を促進するための改正都市計画法,生活環境への影響など社会的規制の側面から大型店出店の新たな調整の仕組みを定めた大規模小売店舗立地法(大店立地法),中心市街地の空洞化を食い止め活性化活動を支援する中心市街地の活性化に関する法律(中心市街地活性化法)の3つの日本の法律を総称して言います。1998年に施行されました(大店立地法のみ2000年施行)。
 大店立地法では,大型店設置に対して以前と違い商人は文句は言えませんが,住民は言えるということになっています。でも梅田のど真ん中に住民はいませんよ。ヨドバシカメラ出店で日本橋の「でんでんタウン」が「だんだんダウン」になっています。縦型(高層化)ではなく,横型が大事なのです。向こう3軒両隣,がなくなってきています。犯罪が増えたりしています。復活の方法はないのでしょうか。
 大阪は上方。地方へはいいものしか送らない。下り物(くだりもの)です。下らん物は送らん。料亭も隆盛でした。人がよくなるのが食だと思って,茶碗屋を続けてきました。修学旅行生に,1日丁稚体験をさせました。子どもは,商店街を知りませんでした。民の力で復活させないかんと思います。蓋付き茶碗を見せてこれ知ってるか,と聞きましたところ,知りません。昔は炊飯器がなかった。ご飯を炊いて,おひつに入れて,茶碗に入れて,そしてさめないようにふたをするんやで,と教えてあげました。蓋をひっくり返したら小皿になる。これを「おてしょう」という。手に塩をおくの「手塩」に,丁寧語の「お」をつけた「お手塩」。その「お手塩」をのせる「お手塩皿」いうのが語源です。手塩いうのは,お食事のお膳に添えられてた,ほんの少しの塩のことです。そこから,お手塩をのせる皿のような小皿を「おてしょう」いうようになりました。これなども死語に成りつつあります。だんだん生活から文化が消えつつあるように思えます。知らない間に消えつつある。こんな事を伝えていかなければならないと思います。知らない間に文化が消えていくのではないかと心配です。

大阪活性化のために30数年
 私は30数年間大阪の街の活性化のため意地でやってきました。文化を高めることをやってきました。商いも文化です。コトがまずあって,モノがついてくるのです。祭り,癒し,心休まる「コト,ハレ」の日があって,平時は「ケ」の場です。コトをすればモノが後でついてくる。いろんなコトを仕掛けて商店街が栄えるだけでなく,周辺も栄え,いろいろついてくるのです。私はお客さんを消費者と呼んだことはありません。同じ社会人です。社会とは,社(やしろ)で会うと書きます。消費者ではなく,ファンだと思っています。ファンを如何に大事にするのが私たちの仕掛けです。私は「街はかやくご飯」だと言っています。いろんな物が入り交じって,みんながよくなる,分かち合いの精神が大切です。
いまや,文明が文化を駆逐する時代です。
 パソコン・携帯が普及して,文章が書けない,人との対話ができない人が増えています。そういう若者が増えています。またお母さんもおかしくなっている。モンスターペアレンツになってきています。給食でお金を払っているのに,「いただきます」はおかしいとか,「今日は子どもが休むから自宅へ給食を配達してくれないか」などという。そして,料理も知らないし,出来合いのものをスーパーで買ってきて済ましています。それで「骨のない魚」がよく売れる。子どもたちも骨から身をはずすことができない,等々おかしなことが増えてきました。
こんな流れに歯止めをかけて世の中を改善しよう,文化を取り戻そうと呼びかけています。

天満天神繁盛亭の完成
 その一環として落語の定席「天満天神繁盛亭」が4年前に完成しました。これは,私はこうしたいと,昭和50年代からずっと思い続けてきたものです。かつては,天神さんの界隈には8軒の小屋があったものです。つまりコトがあったのです。それが全部なくなった。だから何とか小屋をつくりたいと思い続けてきました。
 「念ずれば通ず」です。ある時,三枝さんに呼ばれたのがきっかけです。「できたら天神橋筋で噺家が役に立つ事をやりたい」いわれました。そこで知り合いである天満宮の宮司さんと会いました。お宮さんと商店街のつながりは昔からありました。で,「テント張って落語やらしてください」とお願いしました。天満の街を芸能文化の街にしたいと思い,お願いしました。そしたら,駐車場のあるところを貸してやる。それも趣旨に賛成だからタダでよいといわれました。
 噺家,商売人,宮司が語らって,一銭も行政からお金をもらわず,寄付でそれをまかないました。ですから,寄付集めのために1年間商売ほったらかしでかけずりまわりました。執念です。それが人を動かしたのです。
 「天の時は地の利にしかず,地の利は人の和にしかず」,といいます。寄付をして下さった人には提灯に名前を入れるということをしました。発起人には知事,市長の名前は借りましたが,民がしたいことを民が支えてくれはったのがこの事業でした。大阪には中央公会堂をはじめ民が公のためにお金を出すという歴史があります。今回もそうです。「繁盛亭」は4年たってもにぎわいは続いています。その経済効果は116億円だと試算されています。こんな小さな街商人でもこんな大きなコトができたのです。「繁盛亭」はこの9月15日に4周年を迎えます。イベントをしようと計画しています。
 まさに時の運,「ちりとてちん」の放送などのテレビドラマは想定してなかったことですが,これが盛り上げてくれました。そして今まで落語に熱心でなかった吉本が落語に振り向くようになりました。

これからも大阪活性化に取り組みたい
 分かち合いの精神,お互いがええことしよという精神でここまできました。最近私は商工会議所のツーリズム委員長に指名されました。こんなこともしたからだと思います。すなわち七夕まつり,を企画し実行しました。大川にLEDの光を「天の川」と名付けて流し,大きな反響をよびました。今は,大阪城の活性化をしたい,あそこに楽市楽座をやりたいと思っています。指名されてカジノ復活の意見者の一員となりました。これからも大阪活性化に取り組んでいきたいと思っています。

《編集後記》
 今回の土居さんのお話はとても紙面では伝えきれません。DVDなども見せて貰いました。そしてまさに大阪人。くすぐりだくさんで客席はたびたび笑いに包まれました。皆さん満足して,そして大阪活性化の思いを共有されてお帰りいただいたのではないでしょうか。懇親交流会も話の輪が盛り上がりました。終わりにお話の中で出てきた「大阪締め」で手打ちをして散会しました。これからのセミナーもお楽しみにお待ち下さい(M)。

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