【2012年8月26日に第1回セミナー(無縁社会における地域の縁結び)を開催しました。】

過去に行われたセミナー・交流会のご案内です。

【2012年8月26日に第1回セミナー(無縁社会における地域の縁結び)を開催しました。】

無縁社会における地域の縁結び

経営学部校友会10周年記念行事を控える、2012年第1回経営学振興事業セミナーは、8月27日、例年通りの大阪、ホテルグランヴィア大阪に於いて行われました。
講師には、立命館大学サービスラーニングセンター副センター長・共通教育推進機構山口洋典准教授に「無縁社会における地域の縁結び?大阪を元気にする」と題してお話し願いました。参加者42名と盛況のもと、興味深いお話を伺えました。終了後の懇親会でも先生を捕まえての質疑が続きました。

ややこしい経歴でして私は立命館大学理工学部出身で、大学コンソーシアム京都で働きながら大阪大学大学院へ行った後、同志社大学から呼ばれ、総合政策科学研究科というところで准教授をしていましたが、1年半前に立命館大学に「縁あって」戻って参りました。「縁」ということを話していきたいと思っています。今は大阪府政と市政の芸術文化部門のアドバイザーもしています。
私は衣笠を知らない世代です。理工学部の草津での一期生であったためです。ただ、今はサービスラーニングセンターの担当教員として草津と衣笠の両キャンパスを行き来しながら、大学と地域の「のりしろ」役になっています。浄土宗の僧侶の顔もあります。
現在、東日本大震災の支援にもかかわっていますが、そんななかで知ったことを紹介します。和合亮一さんという、ツイッターで投稿していた詩人による、「あなたにとって、懐かしい街がありますか」という問いかけです。2010年には無縁社会と言われました。今日は無縁化していく、人との関わりがなくなっていく社会について、私も執筆した著書の題を借りるなら「地域を活かすつながりのデザイン」を考えたいと思います。

1 まちの流動性と関係性のデザイン 
私の専門は「社会心理学」です。理工学部では土木、都市計画を専攻しました。理工学部の学びは正解のある学びです。私はこれに疑問を持ちました。職、住、学、遊と多様な人々が関わるまちを構想する上では唯一絶対の「解」はないはずだからです。そこで大学院で人間関係論を学びなおすことにしました。

情報、発想、人脈が大切通常資源というと3つのMが大切だと言います。ひと(huMan)、もの(Material)、かね(Money)。ただ、この変化の時代、情報、発想、人脈の3つを加えるべきです。例えば災害からの復興でも、人が沢山行って、ものやお金を投入したらそれでよいと言うことにはならない。何が正しいか適切かわからない時代には、特に情報、発想、人脈が大切です。ひと、もの、かねは調達をしてくる資源なのに対し、情報、発想、人脈は自ら生み出すことができる、つくりだす資源だからです。ささやかであっても個人の行為がきっかけとなって、やがて集団を単位とした行動になり、1+1が2以上になります。すると多くの人に地域社会へのスイッチが入る。そのとき「地域内の借り物競走」が起こります。ないものねだりから、あるものさがしが起こるのです。いてもたっても居られず動く人たちが互いに「価値の不等価交換」を重ねることで、恩返しならぬ、恩送りの連鎖がもたらされます。相手を信じて頼っていく、そうして信頼関係を育む源流が生まれるのです。
 『地震イツモノート』という本があります。阪神・淡路大震災で被災された方々のインタビューを、寄藤文平さんというイラストレーターが素敵な絵で表現しているものです。その中に「私から私たちへ」という図があります。よりよい地域、暮らしのためには単数形ではなく複数形の担い手が大切なのです。

2 他者を通じて自己をみつめる 
私は立命館ともう一つ、應典院(http://www.outenin.com)というお寺にも身を置いています。大阪の天王寺区、下寺町にある鉄とガラスとコンクリートで出来たモダンなお寺に、1997年に再建されました。既に東京工業大学の上田紀行先生の『がんばれ仏教』をはじめ、多方面で紹介いただいています。

ユニークな取組み 應典院は「日本で一番若い人が集まるお寺」と言われています。その特徴は「3ナイ寺院」と表現できると思っています。「檀家に拠らない」、「お墓を持たない」、「葬式を出さない」、言わば通常のお寺がすることをしないお寺なのです。運営もNPOによる会員組織で行っています。とはいえ、きちんと人々の「苦」に向き合う拠点となるよう、不定期の講演会、演劇祭、文化祭、映画鑑賞会などを、宗教法人とNPOが連携していて取り組んでいます。まさにひと、もの、かねの3つのMは弱くとも、情報や知恵や人脈を重ねることで地域に開かれたお寺が実現しています。
そんななか、よく尋ねられるのは、なぜお寺でアートなのか、ということです。それは時間と空間のかけ算によって生み出される「場所」の力、つまり人々の表現の場を大事にしているからです。表現を和英辞典で引くと’express’とあります。そう、思いを届ける、という意味でもあります。何かをすると見る人が自ずと存在することになるのですが、逆に言えば見る人から見られることで、さらには誰かを見つめることで、それぞれに自分が見えてくるのです。
もうひとつ、アートにこだわる理由は、死が美化されすぎていると感じるためです。仏教では死への恐怖を物語によって異化させてきました。そのため死にまつわる思い込みを解くためにも、アートによる異化作用を求めています。こうして、まちと「呼吸するお寺」を目指しています。

3 無縁社会の生きづらさ
こうして、主に若者たちを対象にお寺を開く活動の意味を、改めて無縁社会という点から紐解いてみることにしましょう。参考にするのは『週刊ダイヤモンド』の2010年4月3日号の特集です。ここでは血縁、社縁、地縁の3つの縁が絶たれつつある、あるいは希薄化していることが、豊富なデータから明らかとされています。

血縁、社縁、地縁の無縁化 まず国勢調査から比較しますと、この50年で世帯数が人口増加率に比べて圧倒的に増えていることがわかります。核家族化が進み、大家族は激減しており、要するに「サザエさん」のような家族像はほとんど見られない。
 次に労働力調査という統計から見れば、非正規雇用の増加は歴然としています。旧来の新卒採用・年功序列・終身雇用という特徴は失われ、金の切れ目が縁の切れ目に。そうして職場に愛着を持たなくなってきています。まさに社縁も薄れてきています。
 そしてOECDの「Society at a Glance」という国際比較によると、一人当たりの所属団体数は日本では1以下とのこと。ちなみに最多はアメリカで、平均で3を超えています。よく、町内会などへの帰属意識も低くなってきていると言われますが、まさにこうしたデータが地域参加の度合いの低さを物語っていると言えるでしょう。
 このように血縁・社縁・地縁が薄くなる中、日本はますます高齢化が進んでいます。2011年10月1日現在で人口の23.3%が65歳以上です。総人口の推計によれば、今後、人口は増えないとされています。そうした中、「人口動態調査」という統計から死亡場所の推移をグラフ化してみると、1975年を境に自宅死と施設死の比率が反転しています。ただ、今後、無縁化が進むと自宅での孤独死、いわゆる貧困死が増えていくでしょう。他方、豊かな高齢者層には施設で看取られつつも家族葬など小規模な見送りの中、手元供養などによって美しく死が取り扱われていくようにも思えます。
 無縁社会という言葉が注目を集めた2010年の夏、東京都足立区で所在不明者の年金不正受給というのが話題になりました。ただ、この事件は肉親の遺体を放置した結果です。また同時期には大阪市西区のマンションで2人の幼児の死体遺棄事件が起こりました。若きシングルマザーが育てきれなかった子を餓死させてしまったケースです。どちらも家族の縁という観点を重ねると胸が痛みます。
 とりわけ戦後と言われる頃から、社会全体が経済的な豊かさを追い求めてきました。しかし、今後は社会的・文化的な豊かさの追求が重要となるでしょう。まさに今、価値の転換点に立っています。実際、その端緒を先程挙げた2つの事件の周辺で見られます。足立区では社会福祉協議会によりヤクルトレディが70歳以上の高齢者に一日一本ずつ届け、安否確認を図る取り組みがなされています。また事件が起こった大阪のマンションでは、定期的な会合を重ね始めているようです。

共感、交流、挑戦、模範が重要 「格差社会」と言われて久しい世の中で、実は経済的な格差よりも「思いやり」の格差が問題と、大阪大学の稲場圭信先生はNHK出版から出されている書籍で指摘し、共感、交流、挑戦、模範が重要だと述べています。過剰な感情移入がなされる場面が多く、利己的人脈形成ばかりで、安定志向と改革志向の二極化が進む中で、情報だけが一人歩きする、そうした中では他人を思いやるやさしさがの格差が広がっている、と。
実は私が僧侶になった背景には、大学1回生のとき阪神・淡路大震災のボランティア活動に参加したことがあります。何かできると思って現地に駆けつけたものの、果たして何ができるか立ち尽くしてしまったのです。結果としてよき仲間と現場に巡り会えたのですが、その後、仕事や暮らしで悩みました。そんなとき、師匠となる秋田光彦住職と出会ったのです。そして、ご自身も震災ボランティアをしていたという共通体験で話が弾み、お寺で働かないかと声を掛けていただいて僧侶になりました。

傲慢にならず謙虚に 浄土宗が21世紀に入ったときにまとめた宣言の一つに「愚者の自覚」があります。できることに傲慢にならず、できないことに謙虚になれという教えです。法然上人が説いた、我々は皆、愚者、凡夫であるということを端的にまとめたものです。
先程も述べたとおり、大阪府市統合本部の都市魅力戦略会議で文化政策のアドバイザーをさせていただいています。今、積極的な改革に注目が高まってきていますが、最後に東日本大震災から2週間後に実施された大阪大学の卒業式にて、当時の総長であった鷲田清一先生の式辞を紹介させていただいて、結びとさせてください。それは被災地で「困っていませんか」とインタビューするマスコミや介護施設で「おいしい?」と訊ねる介護者は、その対象となる人たちとのあいだで大きな隔たりがある、というものです。要するに、物理的な距離は近いけれど精神的な距離が遠くては、気持ちが通うはずがないのです。
「新しい公共」という政策をまとめあげた鳩山由紀夫首相は、デレク・シヴァーズというアメリカの起業家の動画を引き合いに出し、世直しのためにはリーダーよりもフォロワーが大事だと後に語りました。個人と個人のつながりが希薄になってきている今、どのようにコミュニケーションのデザインを図るか。少なくとも私は、これまでの経験をもとに、大阪でアーツカウンシル設置のための制度設計にあたっています。興味のある方、ぜひご関心をお持ちいただければと思います。

《編集後記》大変興味深い、面白お話しでした。そして今回應典院のお話しが出ましたが、ここの住職の弟さんは立命館大学大学院経営管理研究科の出身です。不思議な「ご縁」ですね(M)。

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